葛藤


(注)
今回のお話は、しーちゃんが直面したウツに関するとあるエピソードです。
時系列で書いてきた闘病記からは少し外れていますことをご了承の上お読みください。


「二次受傷」という言葉をご存知でしょうか?
日本トラウマティック・ストレス学会のHPによると、

「代理受傷」「共感性疲弊」「外傷性逆転移」と呼ばれている現象の総称であり、「外傷体験を負った人の話に耳を傾けることで生じる被害者と同様の外傷性ストレス反応」を指す。」

だそうです。

例えば、被災地などで活動する救急隊員が悲惨な現場を目撃することで罹患したり、
交通事故にあった子供の話を聞いた親が罹患することがあるのだそう。

私も自分が罹患するまで、その名前すら知りませんでした。


2005年4月25日。福知山線脱線事故発生。


私にとって福知山線は生活の足でした。
毎日福知山線に乗って会社に通い、
休日は福知山線に乗って梅田に出る。
事故当日も、いつものように、いつもの電車に乗って通勤していました。

自分がいつも使っている電車で起こった悲惨な事故。

事故現場は、宝塚方面から大阪方面に乗ったとき、
一番最初に差し掛かる大きなカーブです。
キキキーと大きな音を立ててブレーキが踏まれるのが日常で、
その音は、私にとって
「あ、もうすぐ尼崎駅の手前だな」
ということを知らせる合図のようなものでした。
その後の報道で毎日テレビに出てくるようになったマンションも、
私にとっては見慣れた風景でした。

いつもの電車で起こった大事故。

それは、私に大きな衝撃を与えました。
事故列車に乗っていたわけではないけれど、
眠れなくなり、悪夢を見るようになりました。
電気を消すことも、一人でいることもできなくなりました。

振替輸送が開始され、阪急電車で通勤する毎日。
恐ろしいほど込み合った車内。
疲れきった人々の顔・顔・顔。
日々報道される事故の映像。


いつしか、私は日常生活を送ることが困難になっていきました。


でも、誰にも言えませんでした。
事故列車に乗っていたわけではないのです。
ただの沿線住民。
なのに、なぜこんな風になってしまったのか、私にも分かりません。



当時、事故に関する心のケア相談室として、
様々な医療機関・保健所などが相談窓口を開いていました。
耐え切れなくなった私は、その中のひとつに相談したのです。
そして、今の主治医と出会い、二次受傷という言葉を初めて知りました。


先生曰く、感受性が豊かだから・・・なのだそうです。


負傷者でもなく、遺族でもない。
でも辛い。苦しい。


そんな私を、先生が初めて理解してくれました。



その後、私はその先生の下で少しずつ回復していきます。
でも、私の生活は大きく変わりました。

その一つに仕事をクビになったことがあります。

大好きな翻訳のお仕事でした。
本当は続けたいと思っていました。
乗ることが辛い電車に乗ってでも通い続けていました。


でも・・・。


病気のことを話すと、会社の態度は一変しました。

「治るかどうか分からない病気だからクビ。」

上手い言い方をしていましたが、要はそういうこと。
私はあっさり解雇されたのです。

体の病気なら回復も検査値などで目に見える。
でも、心の病気はそうではない。

そういうことでした。
特に私の場合は事故列車に乗っていたわけではないのです。
理解してもらうことは更に難しかったと思います。


その後、派遣社員をいくつか転々とし、
2008年に正社員の職が決まりました。
今の会社です。
でも、私は病気のことを話してはいません。


会社に、休職されている方が一人います。
表向きは身体的不調が理由ですが、

「本当はうつ病らしいよ。」

という噂がまことしやかに流れています。
そして、「うつ病」について話すときの同僚の態度。

悪い人たちではないのです。
私も仲良くさせてもらっています。
でも、精神疾患に対する言動は・・・。


だから、病気のことは話していません。
せっかく掴んだ正社員の職。
大好きな翻訳のお仕事。
手放したくはないのです。


理解を求めていくことが本来あるべき姿なのかもしれません。
でも、私にはできません。
世間の精神疾患に対する理解は・・・厳しいと思います。

隠しておけるものなら隠しておく方が無難。

それが現実です。

理解して欲しい。でも・・・。
現実と理想の狭間で、私の葛藤はこれからも続くのかも知れません。




(2009.5.15)



(追記)
この記事を書いてから3ヵ月後、
その休職されていた方は退職されました・・・。
(追記終わり)






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