回復


2008年3月。


私は新しい会社で働き始めました。
「正社員」としてです。

作られたばかりの名刺をもらい、
「ああ、本当にこの会社の一員になったんだ」
と感動を覚えました。

もう、「どこで働いているの?」と聞かれたとき、

「○○製薬です。派遣社員ですけど・・・」

という必要はありません。

この会社の社員なのです。

それは、本当に本当に嬉しいことでした。

仕事内容は今までと同じ翻訳だったけれど、
訳す分野は初めてのものでした。
毎日辞書やマニュアルに囲まれ過ごす日々。

大変だったけれど、やりがいを感じていました。

どんなに頑張っても評価されなかった派遣社員とは違い、
頑張れば頑張れるだけ評価される立場になったのです。

いつしかずっと感じていた焦燥感は消え、
溌剌と毎日を過ごすことができるようになっていました。


病院の先生には事後報告でした。
以前のことがあったので、
もし事前に言えば反対されると思って・・・。


でも、ウキウキした様子で新しい会社のことを語る私を見て、
先生も安心されたようでした。

「頑張りすぎないようにね」

とだけおっしゃいました。


電車に乗るのも辛くなくなっていました。
まだ1,2両目には乗る気がしなかったけれど、
あきさんと一緒なら乗ることができました。


そして就職から約2ヶ月後。
事故から3年目の時を迎えたのです・・・。


テレビでは事故の特集番組が増えました。
当日は駅に記帳所が設けられ、
事故現場を通る瞬間には車内アナウンスが流れました。

某新聞社の人のインタビューも受けました。
涙をこらえることができず、泣きながら答えました。


でも・・・。


いつの間にか私は変わっていました。

事故のことを思い出すと、
やはり心は悲しみで満ち溢れています。

でも、
「どうして自分が生き残ってしまったのか」
という、自責の念は沸き起こってきませんでした。
焦りも、苛立ちも、焦燥感もなくなっていました。

それは「事故のことを乗り越えた」ということなのかもしれません。

5月初旬の診察でも、事故のことを涙なしに話せる自分がいました。
「福知山線」という言葉すら涙なしに語ることのできなかった私が、
いつの間にか言えるようになっていました。

先生はニッコリ笑い
「随分回復されましたね」
とおっしゃいました。

事故から3年。
先生が初めて口にする「回復」という言葉でした。


自分自身でも「あぁ、回復してきてるんだな」という実感がありました。
ずっと嫌いだった自分を、少し好きだと思えるようになりました。

事故のことがあって、うつ病のことがあって、
ずっとずっともがき苦しんできた3年間。

本当は心のどこかで自分を好きになりたかったのだと思います。
でも、できなかった。
ずっとずっと自分なんて死んでしまえばいいと思っていました。

それが「転職」を機に、変わったのだと思います。
それは「なりたかった自分」に少し近づいたからなのだと思います。

「うつ病は必ず治る」という世間の言葉を、
心のどこかで疑っていました。

「うつの苦しみを知らないからそんなことが言えるんだ」
とさえ思っていました。

でも今なら言えます。


「うつは必ず治ります。」


自分を嫌いにならないでください。
自分を責めないでください。
自分を苦しめないでください。
自分を諦めないでください。


私にとっては転職が回復のきっかけとなりました。
大嫌いだった自分を少しだけ好きになれた。
それが大きかったのだと思います。

きっかけはは人によって違うでしょう。

でも、これだけは言えます。

今は真っ暗なトンネルの中にいるような苦しみの中にいたとしても、
必ず希望という名の光が見える日がきます。


だから諦めないで。

頑張らなくていい。
そのままでいい。

あきさんがこんなことを言ってくれたことがあります。


「人は生きているだけで尊い(たっとい)。」



悲しみや絶望を知っている人ほど
きっと強く、優しくなれるのだと思います。



だから・・・。



生きていきましょう。






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