暴走


お仕事を始めて2ヶ月。
桜の花が咲き、暖かな風がほほをやさしくなでる季節となりました。
でも私にとっては辛い季節でした。

もう少しで事故から1年・・・。

テレビで事故の特集が報道されるようになりました。
できるだけ見ないようにはしていましたが、
テレビをつけた瞬間に事故の映像が流れ、
過呼吸を起こして倒れる、といったことが頻繁に起きるようになりました。

もう少しで1年。
あれから1年。

私の中では何も変わっていませんでした。

何もかもが辛い時期でした。
仕事をすることも、誰かと会話することも、
呼吸することすら辛い毎日。

私はまた焦燥感を感じるようになっていました。

仕事を始めれば、それは解消されるはずのものでした。
でも、仕事を始めて2ヶ月。
焦燥感はいっそう強くなり、
何か目に見えないものに対していつもイライラしていました。
あきさんに対しても八つ当たりすることが多くなりました。

「もう何もかもやめてしまいたい。」

そんな気持ちでいっぱいでした。


2006年4月末、いつもの診察日。

この日、私はあきさんに付き添われて病院へ行きました。
静かな音楽が流れている待合室。
清潔な床に、流線型をしたソファが置かれています。

つい数日前、私は一人でこの病院を訪れていました。
事故からちょうど1年たった、4月25日のことです。
でも、私にはその時の記憶の一部がありません。
会社を出て、駅のホームに立ったことは覚えているのですが、
病院へ行った記憶がないのです。
気がついたら私は病院で泣きじゃくっていました。

「乖離」というのだそうです。

私の心はとても不安定で、時々記憶がなくなるようになりました。

その日の診察も私には断片的な記憶しかありません。
午前中の診察で、私は待合室で待っていました。
そこから一部記憶が飛びます。
気がついたら私は処置室で寝かされていました。

そしてまた記憶が飛びます。
次の記憶は、あきさんに靴を投げているところでした。
先生が隣の診察室から飛び出してきて、私を止めに入ります。
私はありったけの力で抵抗して、
用意してあった大量の精神薬を飲もうとするのです。
看護婦さんや受付の方に止められ、
またベッドに寝かしつけられ・・・。

また記憶は飛び、
その日最後の記憶は、夕方のもので、
あきさんと先生と3人で談笑しているところでした。

どうしてそんなことになったのか、一体何が起こっていたのか、
そのとき私はどんな気持ちだったのか、全く思い出すことはできません。
昔の記憶だからではなく、
本当に切り取ったように断片的な記憶しかないのです。

それだけ精神的に参っていたということなのでしょうか。
先生はそれについてお話することがなかったので、
詳しいことは分かりません。

ただ、「パキシルをやめましょう」とだけおっしゃいました。






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