復職


ジリジリとした焦りを感じながら毎日を過ごしていた頃、
ふと、私宛に届いたメールに目が留まりました。
登録していた派遣会社からのメールです。
精密機器メーカーでの翻訳のお仕事紹介でした。
時間は10時から16時まで。
1日5時間のお仕事です。

大好きな翻訳のお仕事であることに加え、
労働時間が短いことが魅力的に感じられました。

「ゆっくりすることが治る近道」といわれている私でもできそうだ、
そんな気がしました。
前職をクビになってから約4ヶ月。
リハビリ的な意味でも、ちょうどよいように思われました。

ぜひこの仕事がしたい!

そう強く思い、派遣会社に「興味あり」のメールを出しました。

病院の先生は大反対でした。
大好きな翻訳のお仕事であることや、
パートタイムでのお仕事であることを説明しても、

「絶対に駄目です」

の一点張りでした。

でも、私も一歩も譲りませんでした。
こんなチャンス、もうないかもしれない。
絶対に行きたい。

社内選考で落ちる可能性もあったので、
話を聞くくらい聞いてもいいじゃないか。

そんな気持ちでした。


結局先生は最後の最後まで首を立てに振ることはありませんでした。

「もう少し大人になりなさい」

そう諭されましたが、
私にはその意味が理解できませんでした。

もう一時期のようなひどいウツの状態ではない。
お仕事をしても大丈夫。

そう思っていました。

あきさんは私を支援してくれました。
ウツが完全に治ったとは言い切れないけれど、
私の働きたいという気持ちは尊重したい。
やってみて駄目ならやめるという選択肢もあるし、
全面的に協力するよ。

そんな風に言ってくれました。


結局私は社内選考にとおり、
その精密機器メーカーで働くことが決定しました。

先生は「就職おめでとう」と言ってくれましたが、
「くれぐれも無理をしないように」と念を押されました。


お仕事は快調でした。
朝10時からの出勤ということで、早起きする必要もなく、
終業も16時なので、家に帰ってからたっぷり時間があります。
家事との両立も上手くできたし、翻訳も楽しくできました。


問題は通勤電車でした。


毎日乗るのが辛い・・・。


苦しい毎日でした。

でも、自分から言い出して始めたお仕事です。
投げ出すわけにはきませんでした。
他が順調だったので、
「そのうち慣れる」と自分に言い聞かせ、
無理やり乗っていました。


が・・・。


押し付けられた心の悲鳴は、
体への異変という形で現れました。

働き始めて1ヶ月も経たないうちに、
会社で過呼吸を起こして倒れました。

息苦しさのあまり、このまま死んでしまうのではないかという恐怖。

幸い、社内に過呼吸を経験された方がいて、
適切な処置をとってくれたため、大事には至りませんでした。

この頃、電車の異変には敏感でした。
「安全確認を行ったため遅れました」
「濃霧のため、遅れました」
「無謀横断があったため、緊急停止しました」
などのアナウンスが流れるたびに電車の中で過呼吸を起こしました。

尼崎駅から事故現場を通って塚口駅へ行くことを考えただけで息苦しくなり、
尼崎駅からタクシーで帰ったこともありました。

それでも無理やり通い続けました。

「私はもう大丈夫」

そう言い聞かせながら乗っていました。
でも、事故現場の横を通るたびに、
涙をこらえなければなりませんでした。
そして沸き起こる「生きていることへの自責の念」。

どうして私は生きているんだろう?
私が死んだ方がよかったのではないか。

常にそんな気持ちでした。

お仕事を始めてから2ヶ月がたった頃、
私の心の疲労はピークに達しました。
もう仕事をするどころではありません。
毎日呼吸をすることすら辛くなっていきました。






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