元の生活へ


実家サナトリウム生活も3週間を過ぎると、
少しずつ動きたくなってきました。
基本的に学校の課題をこなすことしかすることはなかったので、
あとはぼんやりしていたのだけど、
それにも飽きてきました。

4週間目に入り、少しずつ外に出て行くようになりました。
自転車に乗って川原を走ったり、
母とお買い物に出かけたり。

そんなことが自然にできるようになってきました。

学校の方は特別のはからいで通信添削にしてもらっていたけれど、
本来は通学しなければなりません。
実家サナトリウム生活が1ヶ月目になったとき、
あきさんの待つ、関西へ帰ることを決意しました。

もしまた調子が悪くなるようなことがあれば、
実家に戻ってくればよい・・・。
そんな気持ちでした。


2005年11月。


あきさんの待つ関西に戻りました。


毎日の家事と、学校だけの生活。
少し回復していたしーちゃんにはちょうどよい感じでした。

学校の課題は毎回がテストのようで難しいものばかりでした。
でも、翻訳をしていられることの幸せの方が多かったです。

家事を少しして、課題をこなす。

そんな毎日が続きました。

毎日、毎日が同じ日々。


仕事がしたい。
仕事をしなければ。


最初は小さな望みだったはずの仕事への思いは、
あっという間に脅迫にも似た思いへと変貌していきました。

家でだらだらしている自分が許せない。
家でゴロゴロしている自分を受け入れられない。

焦り・・・だったのかもしれません。


時間をもてあまし、1秒1秒が苦痛でした。
病院に何度も電話し、先生に
「何をしていればいいのですか?」
「何をすれば治るのですか?」
と聞きました。

先生は
「ゆっくりしたらいいんですよ」
とやさしく答えてくれましたが、
私の中でそれは許されることではありませんでした。


何かしなければ!
何かしなければ!


そんな思いが私の中で強くなっていったのです。






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