【学校探し】



 翻訳家になるためにはどうすればいいのか?
英語力アップはもちろんだが、それ以外に必要なもの・・・。
様々な道を考えた結果、ありきたりだが、翻訳学校へ行くことを決意した。

決定するまでに、一瞬通学期間が1年以上に及ぶであろうこと、学費が高いことなどなどに不安を覚えた。しかし、期間に関しては「人生30歳が本当の成人」との言葉を思い出した。30歳までに翻訳家としての目途が立っているだろうか?と考えたとき、今自分の中にある「必ずやり遂げてみせる!」との強い気持ちを持ち続けてがんばれば、クリアできる問題に思えた。30歳になったとき、必ず私は今よりずっと自分の理想に近いところにいる・・・そう思えた。
経済的な問題に関しては、就職してから半年が経ち、家計も安定しはじめていた。大型支出もほとんど必要なくなり、貯金も少しずつ増え始めていた。学校に行くようになれば当然毎月の貯金額は減るが、支払いの難しい額ではなさそうだ。さすがに一括は無理のため、学資ローンを組む必要があるが、「繰り上げ返済」という目標ができ、かえって節約生活に力が入るだろうと予測できた。
通学期間や経済的問題は確かに不安要素だったが、多分「翻訳家になりたい!」という強い気持ちの前では、ちっぽけなもので、大したことではなかったのかもしれない。

決意すると、すぐに翻訳学校を探し始めた。関東のようにたくさん学校がある訳ではないため、数は限られている。参考にしたのはアルクの学校紹介だった。地域を限定したり、コースを限定したりして検索ができるのでオススメである。ついでに学校紹介もあって、どんな学校かを知ることができたし、学校によってはそこから資料請求できた。

ところで、この学校はこんな学校ですよ、という紹介文はどれもいいことばかりが書いてある。当然のことなのかもしれない。かつて、留学前に語学学校を探したときにも同じようなことを経験した。どの学校もよさそうに書いてあるのだ。しかし実際現地に渡ってみると、紹介されていてもいい学校ばかりだったわけではない。そんな経験から「紹介文」とは決して嘘ではないが、その学校の悪い点はうまくごまかして書いてあるものだ、と思うようになった。例えば「楽しく学べます」というところは、「楽しいだけで本当の意味での勉強にはならない」とか、「小人数でアットホーム」なところは、教室が狭く、小さな学校であるがゆえに設備が整っておらず、先生もイマイチ揃っていなかったり、なぁなぁな授業だったりする。ひどいところは先生がアルバイトの大学生だったりする。全部が全部そうだというわけではないが、比較的そういう傾向にあるような気がした。
そんなわけで、今回の学校探しをしたときにも、うわべの言葉ではなく、学校の実績、卒業生の就職状況、サポート体制、評判など、できるだけ客観的なデータと資料を見ることから始めた。そして「ここはよさそうだ」と思う学校を3校選び、資料請求をし、実際に学校見学(無料体験レッスン)を受けに行った。
実はもう資料請求した時点で、心の中ではある学校に心は決まっていたのだが、他の学校と比べて本当にその学校がいいかどうか確認したいという気持ちがあって、他校の授業見学にも出かけて行った・・・というのが本音だ。
結局他校を見て、納得。自分が最初から「ここだ!」と思っていた学校がやはり自分には合っていると思えたので、入学することを決意した。

では、どの辺が自分に合っていると思えたのか?1つは、自分が翻訳家になるにあたって、不安に思えっていたことが、説明会で先生の話しを聞いて、すべてなくなったことである。

年齢的、経済的な問題とは別に、「翻訳家」という職業に、自分自身が向いているのかどうか?本当にプロの翻訳家になれるのだろうか?という不安があった。
ある学校の説明会で「翻訳家に必要なものは、日本語力、英語力、そして専門知識である」との説明を受けた。
私は外大卒である。
専攻はフランス語だったが、日常会話さえ怪しいのが現状である。英語の方がまだマシだといえる。
ではそれ以外に何か特技や専門分野があるか?といわれると、何もないのである。

「翻訳する分野」

翻訳家にとってなくてはならないはずのものが、私にはないのである。

「今の時点で専門分野がなくても大丈夫だろうか?」

というのが、私の不安の1つであった。
それを先生は明快に説明してくださった。

例えば環境問題に関する論文がきたとする。ある物質が人体のどの部分に、どのように作用して、どのような害を及ぼす、という文章であれば、医学の知識が必要になるだろう。逆に、環境汚染によって、人々の生活にどのような影響が現れるのか?という論文であれば、社会学の知識が必要かもしれない。自然界にない○○という物質が環境問題に大きく関与しており、その物質に関する論文であれば、化学の知識が必要となるかもしれない。
環境問題1つとっても、様々な分野が絡み合っている。物事には多種多様の面があり、決して一筋縄ではいかないものなのだ。特に、現代社会においてはそういった事象が増えている・・・。

例えば医学の知識があるとする。医学論文は訳せるが、医学スピーチとなると、訳せなかったりする。冒頭の挨拶の訳がうまくできなかったりする。

翻訳をする上で、専門分野は確かに大切なものだが、専門分野を持っているからといって、翻訳できるものではないということだ。

お話をしてくださった先生は「私は完璧な文系人間で、医学も化学もさっぱりな人間だった」と話しておられた。その先生が、「翻訳家になる人には2通りいる。1つは専門分野を持っていて、その分野の翻訳をしようという人、もう1つは英語が好きだからという人。」というお話もしてくださった。
私は心のどこかで「英語が好きなだけでは翻訳家にはなれないかもしれない。」と思っていた。それは、自分が専門分野を持っていないという不安と劣等感からくるものだったが先生はそれが誤りであることを気づかせてくれた。英語が好きで、ずっと英語をやってきて、英語バカだから、翻訳家になりたい・・・そう思って翻訳家になる人はたくさんいる。翻訳家になるためのアプローチの仕方は人それぞれで、どれが正解でどれが近道なんていうのはないのだ、と教えてくださった。

また、こんなお話もしてくださった。
総理大臣・・・というと、テレビで見るだけの、遠い人のように思える。それが、小泉総理大臣のある原稿を英訳したことで、テレビの向こうにいる総理を、少し身近に感じられるようになった。
「翻訳をすることで、世界が広がる」
という言い方をされていた。それが私の心の琴線に触れた。
ああ、翻訳という仕事は、本当に私がしたい仕事だ・・・と思えた。

昔々、高校生だった私は理系を希望していた。化学や物理、生物は苦手だったが、数学が得意で、大好きだった。そんな私を変えたのは、「ヘレン・ケラー」の伝記だった。高校生用にやさしい英語で書かれたその本を読んだ私は衝撃を受けた。目も見えない、耳も聞こえない、口もきけない・・・そんな三重苦のヘレン・ケラーは努力に努力を重ね、3カ国後をマスターし、世界平和に尽力したという。何よりも私が心打たれたのは、サリバン先生に出会ってから「言葉」を理解した瞬間のことである。「言葉」を理解したヘレンが、暗黒と静寂の世界から解き放たれ、「人間」になった瞬間であった。
「言葉」の大切さを痛感した。そして、言葉の大切さを誰よりも知っているからこそ、ヘレンは世界平和のために尽力したのだ・・・と思った。人と人をつなぐ架け橋。気持ちを伝える手段の1つかもしれない。しかし、人間のもつ大きな大きな手段。
そんな時、湾岸戦争が勃発した。私は現社の授業中だった。教室に入ってきた先生が「湾岸戦争が始まった・・・」と告げた瞬間を、今でもはっきりと覚えている。
体が震えた。涙が溢れた。苦しかった。何もできない自分が悔しかった。どうして戦争が起こるのか?なぜ人は戦争をするのか?しなければならないのか?戦争をしたい人なんていないはずなのに・・・。
ヘレンの伝記の中で、「言葉を通して、世界の平和にとってとても重要である」という一文が出てきた。そのとおりだと思った。もし、戦争をしている2国の人々が話し合い、対話を続ければきっと戦争は起きないに違いない・・・。
当時15歳だった私はそんな風に考え、外国語を専門とすること、つまり、外大へ行くことを決意した。
実は担任の先生を始め、周囲からは文系に進むことをずっと薦められていた。数学は好きだったが、化学・物理・生物等が苦手で、それに比べると比較的国語と英語の成績がよかったためである。
ヘレン・ケラーの伝記を読んだことで、なんとなく周囲の薦めにも納得し、結局理系に行くはずだった私は進路決定ぎりぎりのところで文系を選んだ。

その頃から「世界」や「平和」について考えるようになった。そんな私にとって、説明をしてくださった先生のお話がどんなに心の琴線に触れたか、お分かりいただけるのではないかと思う。

さて、その他にもう一つ私がその学校に決めたポイントがあった。これは少々打算的なものなのであるが、それは先生の服装である。人はお金のためだけには働けない。しかし、人はお金なしで一生その仕事をしていくことはできない。どうせなら稼ぎのいい仕事がしたい・・・そう思っていた。学校見学に行ったとき、私は受付の人から、体験授業をしてくださった先生、その他学校関係の方々の服装を見ていた。やっぱりいいものを着ている方が、きっと収入もいいに違いない・・・と思ったのだ。(かなり独断と偏見が入ってますが。)

色々見て、やはり最初から心に決めていた学校がいいと思えた。私はその場で入学の意志を伝え、入学手続きに入った。






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