【病気】



2005年4月25日、福知山線脱線事故発生。しーちゃんは数本前の電車に乗り合わせていたため難を逃れましたが、激しい不安と不眠、電車に乗ると動悸が激しくなるなどの症状に悩まされ、精神科を受診。「二次受傷」と診断されました。お薬が処方され、不安も不眠もある程度改善。電車にも何とか3両目以降なら乗れるようになりました。そしてこれまで通り、社内翻訳者として仕事をこなし、週2回学校へ通い、家事をこなす毎日を送っていました。ところが同年7月後半頃から、仕事が忙しくなりました。誰にも助けてもらえない状況で、毎日遅くまで続く残業。更に仕事を増やそうとする上司。そんな中、再び激しい不安と不眠が起こり、何も運動していないのに朝起きると全身筋肉痛になるなどの不可解な症状があらわれるようになりました。症状が4月に起きたものと似ていたことから、9月に再び精神科を受診。「うつ病」と診断されました。医師からはとにかく何もしないで休養するように言われ、診断書と共に休職を願い出たところ会社はクビに。学校はちょうどお休みの期間に入っていたため、「次のターム(10月)から学校に行きながら、また社内翻訳の仕事を探そう」と決めました。会社をクビになったことはとても辛い経験だったけれど、私の前には「学校=翻訳家への道のり」という道が開けていたし、失業保険も出る状況だったため、仕事に関しては「また社内翻訳者として雇ってくれるところをぼちぼち探そう」と思っていました。
そして10月から通学開始。週2回の学校と家事をこなす毎日が始まりました。仕事をしなくなったことで、時間的な余裕は随分でき、心の余裕もできたかに思えました。でも私は「うつ病」を甘く見すぎていたのです。
元々私は完ぺき主義のところがあるようです。そして何事もこうと決めたら100%の力で頑張ろうとする傾向もあるようです。そんな性格が災いしたのか、学校の課題をこなすことで精一杯になったり、家事が上手くできなくなったり、授業に出るのが辛くなったりしました。そしてそんな自分を責めつづけました。なぜ前に出来ていたことがきちんとできないのか、前より時間はあるのに一体何なのだろうか、ただ怠けているだけではないのか、どうしてがんばれないのか・・・。毎日が辛く、苦しいものになってしまいました。結局、あきさんやマリコさん、主治医の先生に諭され、促され、学校を休学することにしました。とても勇気のいる決断でした。仕事もしていませんでしたし、学校を休学することで「翻訳家になる」という夢から遠のいてしまうような気がしたのです。怖くて怖くて仕方ありませんでした。でも、精神状態を考えると、これ以上、学校に通うことは不可能でした。
毎日専業主婦として過ごす日々。それでも体はだるく、家事ができなくて、料理ができなかったり、お布団から出られない日もあったりしました。何にも興味が持てない毎日。そして激しい自己嫌悪。典型的なうつの症状でした。
そうこうするうちにお薬が少しずつ効き始め、日常の生活が送れるようになってきました。そして年が明けた2006年2月、某派遣会社から精密機器メーカーでの翻訳のお仕事が舞い込んで来ました。フルタイムではなく、1日6時間のお仕事。当時のしーちゃんにとってはうってつけのお仕事でした。主治医からは反対されましたが、どうしても英語に接していたいという思いが強く、働くことにしました。
働き始めて最初の頃は順調でした。英語に触れられることが楽しくて、英語を翻訳していることが嬉しくて、毎日毎日、スポンジが水を吸い上げるように精密機器に関する英語を覚えていきました。まだ学校への復学は難しそうだったので4月期からの復学は見送ったものの、10月からは復学しようと考えていました。
しかし・・・。状況はそれほど甘くなかったのです。
5月頃、うつ病再発。もしかしたら2月の時点で主治医が反対していたことを考えると、再発というより、まだ治りきっていなかったものが悪化したのかもしれません。毎日会社へ行くのが辛くなり、お薬の量も増えました。不眠はお薬で緩和されていたものの、激しい不安と焦燥感に苛まされ、お薬を飲んでもそれは治まることはありませんでした。頓服で出されているお薬も頻繁に飲むようになりました。職場から泣きながら病院やあきさんに電話したことも1度や2度ではありませんでした。
もう英語どころではありませんでした。
仕事を2週間に1度は休むようになってしまい、結局2006年9月末の契約終了を待って退職しました。仕事自体は12月末までに仕上げればよいものを、訳すスピードが速かったため、当初の予定より3ヶ月早く仕上げて契約終了となったことから、よい出来だったと思います。しかし、私の中では度々休んでしまったことばかりが頭の中にあって、「みんなに心配と迷惑をかけてしまった」「どうしてもっときちんと出社できなかったんだろう」と激しい自己嫌悪に陥っていました。
そして翌月10月。学校に復学。あきさんもマリコさんも主治医も反対する中での復学でした。やはり英語に接していないと怖い気持ちが強く、どうしても復学せずにはいられませんでした。でも、精神状態はよくない状態での復学でしたので、通学はすぐに破綻をきたしました。課題自体はきちんと提出し、授業も受け、家事もきちんとこなしていたのですが、それらすべてが苦痛に感じるようになったのです。毎日何をしていても地獄でした。英語を見ても、英単語を覚えても嫌なことをしているとしか感じられなくなりました。家事にも支障をきたし、掃除も洗濯も料理もできなくなったりしました。「私は何もできない人間になってしまった。大好きだった英語さえ嫌いになってしまった。もうだめだ。」そんな思いから薬を大量に飲んで自殺を図ろうとしたりもしました。何もかもが八方塞で、辛く、苦しく感じられ、生きている意味がないように思えました。
そして12月、主治医に「翻訳家になるのは長い目で見て考えたらいいと思いますよ。若くなければなれないという質の職業ではないでしょう?少し休んでからでも大丈夫。」という言葉を期に、再び休学することになりました。実質上、休学という名の退学でした。
退学してからは気分が落ち着きました。英語から離れることを怖がっていた昔と違って、英語と離れて過ごすことに大きな開放感を感じるようになりました。うつ病も落ち着き始めました。
そして2007年2月、某製薬メーカーに派遣社員として就職。主治医には相談する前に就職を決めてしまったので、就職を伝えたときはかなり驚いていました。結局主治医には事後承諾となりましたが、前回の復職の失敗を教訓に、絶対に無理はしないこと、残業はしないこと、学校には行かないことを条件に、あきさんにもマリコさんにも主治医にもOKをもらいました。仕事内容はやはり英語に関するものです。翻訳に限らずコピー取りや海外とのコレポンも含まれています。ただ、扱う文書の9割が英語のため、毎日英語で文章を書き、英語で文章を読んでいます。
学校に行かないことで、翻訳家への道のりをどうするべきか、今は思案中です。学校へ行かなくても翻訳家になっている人はたくさんいるので、ネットで色々調べたりもしています。でもまずは病気を治すことが先決だと考えています。病気が治らないまま翻訳家への道を突き進んでも、また必ず悪化して断念しなければならないときがきます。今の仕事で英語力を落とさないようにしながら、これから翻訳家への道のりをどうするか、焦らず、ゆっくり考えていきたいと思っています。



(2007.5.18)






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