【通訳と翻訳】



無事、進級することができた私は、翻訳と通訳、どちらの授業を専門とするか?という岐路に立たされた。
当初は「絶対翻訳」と思っていた。ところが、会う人、会う人「通訳の方を目指してらっしゃるんでしょう?」とおっしゃる。10人いたら10人そう言うのである。これにはさすがの私も考えずにはいられなかった。
翻訳と通訳というのは両立する職業だという。正直、通訳の方に全く興味がないわけではなかった。カナダで特訓を受けたから、発音は悪くないと思う。だが、自分自身ではどちらに向いているか?といわれたとき、「こっち!」と言えるだけの自信も確信もなかった。だからこそ、皆に「通訳」と言われたとき、迷ったのだと思う。
自分で思っている自分の性格と、人から見た自分の性格は違うのかもしれない。他人が見た方が、より客観的に、冷静に判断しているのかもしれない。今回の場合は特にみながみな「通訳」というのだから、それなりに通訳に向いている何かを私が普段から醸し出しているのかもしれない・・・。
考えに考えて、私はカナダでお世話になった恩師に電話した。どちらか迷っている、と伝えると、彼も「どっちでもいけそうだねぇ」と判断しかねる様子だった。色々話すうち、「とりあえず翻訳は仕事でしてるから、OJTということで、学校では通訳の方をやってみては?」という結論に至った。成る程、と私も納得した。
ちょっと中途半端な決め方な気もするが、それ程どちらにするか、全く決め手がなく、自分自身にも確固たる意志がなかったため、本当にどちらにしてよいのか分からなかったため、「とりあえず通訳の方に進んでみて様子を見てみよう」という気持ちもあった。

そして10月。
やる気満々で授業に臨んだ。授業は厳しかった。とにかく厳しかった。分からないことを質問すると「そんなことも知らないんですか?」と言われる。先生の問いに答えられないと「知らないと困りますねぇ」と言われる。ぽんと聞かれた英語をぽんと日本語にしなければならない。単語1つとっても、あやふやに覚えていたのではとっさのときに出てこない。毎回大量の暗記課題が出され、それプラス聞取り、逐次の練習や英訳課題をこなさなければならなかった。
負けたくなかった。どんなことがあっても「厳しかったから」とか「先生にひどいこと言われたから」という理由で逃げ出すことだけはしたくなかった。プロになるためにはこのくらい当然の試練だと考えた。がんばって、がんばって、がんばって、努力して、努力して、努力して、ひたすら走りつづけた。

同じ頃、仕事の方も未だかつてない程忙しくなった。残業しても仕事が終わらず、私の机の上はファイルや資料でいっぱいだった。机の上に乗りきらず、本棚の上、足元にまで及ぶ始末。それでも「できません。」とは言いたくなかった。会社は派遣に冷たい。一度できないと言ってしまえば、ここまでがんばって得てきたものを失う可能性があった。せっかく手に入れた新しい英語関係の仕事。それを絶対に手放したくなかった。通勤電車で立ったまま眠りそうになりながら単語を覚え、会社ではがむしゃらに働き、学校へ。残業時間は規定ぎりぎりのラインを何とか超えずにいた。このラインのおかげで残業時間が増えずに済んでいたのかもしれない。 どんなにがんばっても、授業では相変わらずだった。先生の問いに答えられない、間違っていると指摘を受ける、きちんとした訳ができない・・・。 苦しかった。泣きながら帰ったこともあった。どうしてこんなに苦しまなければならないんだろう?と考えたりもした。それでもやり続けられたのは、私が相当な「負けず嫌い」だったせいなのかもしれない。 苦しい中、次第に私は「なぜ私には逐次がうまくできないのか?」「聞取りが苦手なのはなぜか?」といったことを考えるようになった。それは私の通訳家としての資質にも関わる問題だった。もしかして私には向いていないのかもしれない・・・。

人には向き、不向きがある。才能のあるなしと言ってもいいかもしれない。自分のは意外と分かりにくいものだが、人のはよく分かったりすることもある。私は英語に限らず全てのことにおいて才能といったものとは縁がない人間だと思う。頭がいいわけでもない。抜群に運動能力に優れているわけでもない。記憶力がいいわけでもなければ、絵を描く才能もなく、美的センスもイマイチだ。それでもそれを悲観せず、自分の夢を追い、がんばってきたのは、才能がなくても、ある程度までは「努力」でカバーできると思っていたからだった。私の座右の銘は、かのエジソンの言葉「天才とは1%の才能、99%の努力」である。才能がなくとも、努力すれば何とかなる・・・才能のない私にとっては救いの言葉のようにも思えた。そして、英語はその言葉通り、私の努力を裏切らないでいてくれた。1つの単語を覚えるのに、たった5分で覚えられる人もいる。一方、私はすぐに忘れてしまうため、その何十倍、何百倍と時間をかけなければならなかったりする。「記憶力」という才能が私にはないのだ。しかし、時間さえかければ必ず単語は覚えることができた。やればやっただけ、英語は応えてくれた。面白かった。私が英語を好きになったのも、続けてこられたのも、それが大きな理由の1つなのだと思う。
でも、もしプロになるためには「1%の才能」が必要なのだとしたらどうだろう?どんなに努力しても手の届かない世界だとしたらどうだろう?才能のあるものだけが踏み入れることを許される世界なのだとしたら?
もしそうなら、例え私がどんなにがんばってもプロにはなれないことになってしまう。努力することで何とかやってきた私には立ち入ることのできない世界ということになってしまう。そうなんだろうか?本当にそうなんだろうか?
正直なところ、今の私にはその答えは見つかっていない。もしかしたらそうなのかもしれないし、意外とそうじゃないのかもしれない。でも、多分才能を持って生まれた人であっても、努力なしには成し遂げられないものの気がする。もし今私が「才能がないから、これ以上やっても意味がない。」と言って辞めてしまうようなことがあったら、多分それは逃げだと思う。なぜなら、私にはまだまだできることが、しなければならないことがあるということを知っているからだ。まだ通訳の学生の身分で才能云々で辞めるなど、100年早いと思う。まだまだ私はがんばれる。がんばらなければならない・・・そう思った。

仕事はさらに忙しくなりつづけ、学校の勉強はただひたすら頑張りつづけるということを続けていたある日、ある授業中、ふっと「私には翻訳の方が向いている」というのを確信した。確信したというより、「突然分かった」と言った方がいいかもしれない。ただもうひたすら頑張りつづける私を見るに見かねた語学の神様が私に「あなたは翻訳に向いているのですよ」とお告げをくれたのかもしれない・・・とにかく「翻訳の方が向いている」という感覚は、突然私の中に舞い降りてきて、それは間違いないと確信を持っていえるほどに、私の中で納得できるものだった。

(それから2年後・・・−2005年−)

さて、実はこの原稿は約2年ほど寝かせてありました。自分の中では「翻訳が向いている」と確信できたあの瞬間のことを、もっと客観的に説明したいと思いながら当時はできなかった、というのと、心のどこかで「もしかしたら、極限状態に追い詰められた自分が勝手に作り出した妄想なのでは」という自分自身への不安がほんの少しだけあったからです。2年経って、やはり私は「翻訳に向いている」という自分の判断は間違ってなかったと思います。翻訳と通訳の違いについて説明するのは難しいことですし、プロの方が書かれたHPや著書に多くかかれていると思うので、ここからは私の独断と偏見による勝手な考えなのですが、通訳には「瞬発力」が必要なのだと思います。その場、その場で適切な訳語を出していくのが求められるからです。反対に翻訳はじっくり時間をかけて(実際の仕事ではそうはいかないことも多々ありますが)、より適切な訳語を考え、自分の中から搾り出し、美しい文章を作り上げていく・・・。通訳クラスである程度のレベルまで進んだというクラスメイトが翻訳をしたものを見ることで、その気持ちはより大きくなりました(もちろん、彼女達はプロではないので、プロの通訳者さんがした翻訳を見るともっと違った感想になるのかもしれませんが)。彼女達の翻訳は全体的にはきちんとしているのだけど、細かな部分が大雑把になっている気がするのです。逆に翻訳だけをやってきた人の翻訳は、一言一句にこだわって、細部まで神経を行き届かせようとしているような印象を受けます。その分、通訳にはその場、その場で適切な訳語を出さなければならないという「瞬発力」が要求されているのではないかと・・・。
通訳の授業を受けていて、「私には翻訳の方が向いている」と感じたのは、自分の中にある絶対的な「 瞬発力」のなさを自覚したからなのだと思います。そして、昔から「翻訳家になりたい」と感じていたのは「一言一句にこだわって、より美しい文章を作り上げる」ことの方に楽しく思う自分を知っていたからなのだと思います。
学校や仕事を通して、より深く、長時間、翻訳に、そして英語に触れる中で、自分自身の通訳・翻訳に対する「向き・不向き」について、より理解するようになりました。やはり私には翻訳者が向いていると思います。コツコツと、どちらかというと内に向かって作業していくのが好きなのです。ただ、「瞬発力」という大きな壁を乗り越えれば、友達や先生がおっしゃってくださったように、通訳者も向いているのかもしれません。今教えていただいている翻訳の先生は、翻訳に役立つと思って通訳のクラスに通っていたことがあるそうです。もしかしたら通訳に必要な「瞬発力」を鍛えることで、私も翻訳家としても大きく成長できるのかもしれません。
今はとにかく翻訳クラスの課題をこなし、英検やTOEICの勉強をしていくことで精一杯ですが、もう少しレベルアップして、何か違うものが見えてきたら・・・どのくらい先になるか分かりませんが・・・通訳の勉強についても考えてみようと思います。



(2005.10.19)






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