【進級判定】



学校に通い始めて1年半(半年の休学期間を除く)。3度目の進級結果が渡された。結果は「Stay」。進級できなかった。でも悔しくはなかった。悲しくもなかった。むしろ前向きにそれを受け止めることができた。

進級結果をいただく約1ヶ月前。私は生涯で何度目かの英語の壁にぶち当たっていた。
英語の壁−−−。
今まで何度もぶつかってきたものだった。自分の英語力は伸びてないのではないか、留学した意味がなかったのではないか、勉強しても成果があらわれないのはどうしてなのか等々、その時々によって微妙に内容は違ったが、そのたびに私はひどく落ち込み、悩み、もう英語をやめようか、いやそれはできないと堂々巡りを繰返し、でもそのうち何とか浮上してまたがんばれるようになってきた。
今回、さすがに自分でも「あぁ、また英語の壁にぶちあたったんだな」ということは自覚できたたので、「今までもそこから這い上がってこれたんだから、今度も大丈夫。がんばり続ければ必ず乗り越えられる。」と言い聞かせた。でも、「頭で分かっていても心は・・・」というのはこのことで、今回の壁はひどく高く、重く、暗く、いつの間にか、もう壁すら見えなくなって、真っ暗な穴ぐらの中に一人取り残されたまま、必死で出口を捜しているような状態になってしまった。
今までどんな風に気持ちを切り替えてまたがんばれるようになったのか、さっぱり思い出せなかったし、むしろ「何で今までそんな風に這い上がれたんだろう?本当に這い上がれたたんだろうか?」と過去の自分を疑ったりもした。でも、今までは壁にぶち当たって、苦しんでも、しっかり這い上がってここまできたはずだった。
それが今回はできなかった。底の底の底まで落ち込んだ。学校で出された宿題の英文を目の前にすると、涙がハラハラとこぼれ落ちた。私にはもうできない。どんなにがんばって翻訳しても、また学校でけちょんけちょんに言われるだけ。私には才能がないんだ・・・。
悔しくて、悲しくて、絶望にも似た気持ちで、宿題を仕上げる日々が続いた。真っ暗なトンネルの中で、こっちが出口か?あっちが出口か?と、必死で探しているような感じだった。捜しても捜しても出口はなくて、疲れ果て、いやになり、それでもここから出たいと願いながら、毎日毎日苦しんでいた。
「もう翻訳家を目指すのはやめよう・・・」そう思いさえした。翻訳家を目指し始めてから初めてのことだった。どんなことでも乗り越えていけると思っていた。もし、自分が翻訳家になるのを諦めるとしたら、それは周りの環境の変化によってどうしてもなれないというときか、想像もつかないような何かが起こったときだと思っていた。自分の意志で辞めるということは、自分の弱さに負けたということのように思っていた。でも、今その自分の意志で辞めようかと思っている・・・。

辞めるか、続けるか−−−。

気持ちは半々だった。

何がそうさせたのだろう?今セッション、私は必死で勉強していた。先タームの先生に「寝ているときとお風呂に入っているとき以外は英語の勉強をしてください」といわれた。だからそうした。土日に遊びに行くことはあっても、それ以外はすべて英語に捧げていた。ご飯を食べているときも、電車に乗っていても、街を歩いていても、必ず英語に触れていた。必死だった。そうしてがんばり続けて、タームが後半に差し掛かったとき、自分は進級できないのではないかという不安にかられた。学校での進級は自分の成長具合を図る一つの目安。一番重視されるのはcomprehensionといわれていた。しかし、宿題が添削されて返ってくるたびにcomprehensionにミスがあることを示す「comp」の赤い印が私の翻訳に並んでいた。「進級できないかもしれない。」それが私の心に重くのしかかった。たかが進級。されど進級。英語を勉強するのはもちろん私だ。誰にも助けてはもらえない。しかし、私が学校へ行くために協力してくれているあきさん、同僚、家族、お友達、そしてHPを通して知り合った方々・・・みんなになんと言えばいいのだろう?と思った。その人たちを裏切ってしまうことになる気がした。そして、これだけがんばっているのに進級ができないということは、成果がまったく表れていないということのように感じられた。これだけやっても成長できないなら、自分には才能がないのではないか?そう思い始めていた。悩み始めるともう泥沼に入り込んでしまったようなものだった。毎週返されるcompマークでいっぱいの宿題。私は必要以上に自分で自分の首を絞めていたのかもしれない。進級なんてケセラセラ。そのくらいのことのはずなのに、私は進級できないことを恐れ、悩み、もがいていた。
もう自分ではどうしようもなくなっていた。苦しくて、苦しくて、誰かに助けを求めようと思った。クラスメイトに少し話してみた。しかし、みな同じ悩みを抱えていて、また悩みは深まるばかりだった。最後の手段として、学校のカウンセリング制度を利用することにした。担任の先生に相談できるというものだ。私の英語力も翻訳力も一番知ってくれている先生に聞いてみよう、そう思った。

先生とのカウンセリングは授業後だった。夜8時半を回ってからのカウンセリング。先生は快く引き受けてくださった。私は自分が感じているこの壁をどんな風に説明すれば上手く伝わるのか、一生懸命考えていた。でも、結局上手い言葉は見つからず、拙い言葉をたくさん並べて、一生懸命勉強しているのに、成果が見えなくて苦しい、真っ暗なトンネルの中を歩いているようだというようなことを言った。
先生はうんうん、と私の話を真剣に聞いてくださり、開口一番こう言ってくださった。「私は○○さん(しーちゃん)の訳がクラスの中で一番好きですよ。素直で、シンプルで、まっすぐで。性格が出てるのかしらねぇ。」そういってにっこり笑われた。そう言えばすっかり忘れていたけれど、先生は以前にも同じことをこっそりおっしゃってくださったことがあった。授業中に何度か(他の誰より・・・とはおっしゃらなかったけれど)みんなの前で私の訳が好きだ、とおっしゃってくださったこともあった。それでも壁のにぶつかり、真っ暗な底なし沼にはまっていた私は「はぁ・・・」と、間の抜けた返事しかできなかった。
先生は、自分も私のように悩んだ時期があるのだとおっしゃり、実際にそのときの話をしてくださった。私が通う学校の元々生徒として通っていた頃、先生はもう少し上のレベルで行き詰まり、にっちもさっちも行かなくなってしまったのだと言う。「どこのレベルで行き詰るかは人によって違うんだけど、私は上のレベルで詰まってしまったから、そこから抜け出すのは本当に大変だったの。行き詰るのは早ければ早い程、いいの。病気と一緒ね。早期発見・早期治療。上に行けば行くほど、自分の中でできあがってしまっているものがあるから、それを崩すのは大変なの。」そして、「今が踏ん張り時よ。今までもそうだったと思うけれど、これからも壁はあるわ。でも必ず乗り越えられるから。」とおっしゃった。
「ああ、やっぱり私は今壁にぶつかっているのか。今が踏ん張りどきってことは、今回進級できないってことなんだろうなぁ」なんてぼんやり思いながら、それでも先生の「必ず乗り越えられる。」という言葉が胸に響いていた。多分自分の頭で何度も言い聞かせてきた言葉のはずだった。あきさんからも友達にも言われた言葉だった。それでも立ち直れなかった私なのに、先生に言われるとなぜか本当にそうできそうな気になった。私が目標とする先生。私が今歩んでいるこの道を何年か前に同じように苦しみながら歩んだ先生だからこそ、説得力を持って発せられる言葉。
「○○さん(しーちゃん)は翻訳コースに入る前は○○コース(英語の基礎学力を上げるためのコース)から来たの?」
「はい。○○コースの3から入って、中間試験後に4に上がって、それから翻訳コースに入りました。」
「中間試験で上がるのは珍しいわね。4から翻訳コースへはすぐ?」
「はい。」
今行っている学校では期末試験で進級が決まる。中間試験で進級するのは珍しく、まずないと言っていい。私も自分以外にそんな人は見たことがない。そして、4から翻訳・通訳コースに進級することも難しいといわれている。12人いるクラスで一人か二人。私が進級したときも12人のクラスから私を含めて2人だけだった。でも、私の進級はちょっとズルだったっていうか、本当は1点足りなくて、先生がオマケで上げてくれたんだけど・・・。あぁ、もしかしたらあの時本当は進級すべきではなかったのかもしれない。本当は進級できる実力がないのに、ラッキーで進級してきて、そのときのツケが今回ってきているのかもしれない。もともと入学試験で「あなたのレベルは3ですよ」って言われた私が、中間試験で進級したのも奇跡なのに、1発で翻訳コースに進級できたなんておかしい過ぎる。何かの間違いだったのかもしれない・・・。
「先生、私は進級したと言っても、本当は1点足りなくて、オマケで進級させてもらったんです。あの時、本当はあのレベルで習得すべきことを、しないままここに来てしまっったのかもしれません。」
あぁ、あの時は進級できたことが嬉しくて、とにかく喜んでばかりだったけれど、英語の基礎学力を上げるためのコースでオマケしてもらったことで、私は大きな落し物をしてきてしまったのかもしれない、そんな思いはどんどん強くなっていた。しかし先生は
「私もそのレベルのクラスの生徒を持っているけれど、そんなことはないと思うわ。確かにそのレベルではテストも重要視されるけど、決してそれが全てではないし、進級が難しいのは知ってるでしょう?生半可なことでは進級させてもらえないはずよ。」とおっしゃった。
そうかなぁ・・・そんな私の気持ちは顔に表れていたらしい。先生は言葉を続けた。
「そのときの先生は誰先生だった?」
「××先生と、△△先生です。」
「あぁ、××先生のことは存じ上げないけれど、△△先生なら一緒にお仕事させてもらってるわ。でも、そんな中途半端な上げ方をするヒトじゃないわ。1点足りなかったとしても、上のクラスに行って、十分にやっていける何かがあなたにはあると判断したから上げられたのだと思いますよ。」
うーん、そうなのかなぁ。
「私も実際今のあなたを見ていて、下のクラスで勉強を続ける必要があるとは思いませんよ。」
慰めや説得するためにそう言っているようには聞こえなかった。でもまだ何となく腑に落ちていない私のために、先生はまたあなたは進級するべくして進級したのだ、という話をしてくれた。気が付くと、15分程度のはずのカウンセリングは、1時間を越えようとしていた。それでも先生は話続けてくれた。今、いろんなことが不安で、自分が信じられなくて、翻訳の道から脱落しようとしている私に、今、このレベルでは進級できないかもしれないけれど、それは決して「悪いこと」なのではなくて、むしろ今後の私のために「必要なこと」であって、それがこれからの私に役立っていくだろうということ、そして、今こうしてもがいていることは、決して無駄ではなく、必ず私の財産となっていくのだということを語ってくれた。
カウンセリング開始から1時間半。私は何か憑き物が落ちたかのように、すっきりした気持ちになれている自分に気がついた。先生がおっしゃってくださったことは、どれも真剣で(あきさんやお友達が真剣じゃなかったという訳ではないのだけど)、かつて、同じ苦しみを乗り越えてきたであろう先生からの言葉だからこそ、私も素直に聞けた気がする。もう翻訳をやめようか・・・そんなことまで考えていた自分がウソのように、「今回進級できなかったくらいで、翻訳を諦めるなんて私には絶対できない。今まで学校に入って挫折がなかったことの方が不思議なんだから。」そう思えた。

これからもこうやって、落ち込んだり、辞めようと思ったりしながら、きっと私は翻訳家への道を進んでいくのだと思う。
今はもう迷いはない。
ただ、大好きな翻訳の道を、着実に一歩一歩、たとえ立ち止まることがあっても、後退することなく進んで行こう。






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