【派遣のお仕事】



運良く私は「英語を使う仕事」に着くことができた。しかし、実際に働き出してみると、現実はそう甘くなかった。
初めての製薬会社。全く未知の世界。知らない言葉が溢れ、会社の人が話していることすら分からないことがあった。「○○はどこ?」と言われても、その書類を見るまで、その様式で書かれた書類が「○○」と呼ぶものだ、ということすら分からなかった。「stent」という単語を辞書で調べると、「ステント」と載っている。それが、薬の名前なのか、処置の方法なのか、体の一部分なのか、医療機器の名前なのか分からなかったりもした。分からないことだらけで、毎日毎日必死で業界用語、会社独自の用語を覚えた。

しばらくすると、何とかひと通り自分に与えられる仕事はできるようになった。しかし気づいてみると、コピー、ファイリング、日本語でのデーター入力がほとんどだった。翻訳の仕事もある。しかし、医学的知識がなく、その分野の用語にさえ怪しい私に、まともな訳ができるはずもなかった。
悔しかった。毎日毎日ファイルを出したり片づけたりしながら、自分は何のためにこの会社に来ているのだろう?何のためにここで働いているんだろう?と悩んだ。
日本語でデーターを入力しながら、私がしたかったことはこんなことだったのだろうか?こんなことをするために留学したんだろうか?と考えた。
苦しかった。自分は「英語を使った仕事」という言葉につられてやってきたが、「英語を使う仕事もある」という程度のものだった。しかも「英語を使った仕事」を自分は満足に仕上げることができない。安易にこの仕事に飛び付いた自分に後悔したりもした。
それでも「契約期間である、3ヶ月は絶対続けよう、もしそれでどうしても嫌だったら辞めよう」と自分を励ました。もしそれより前に辞めてしまったら、自分は嫌なことから逃げるだけの、つまらない人間になってしまうように思えた。まだ自分が何のためにここにいるのかは分からなかったが、そう決めたことで不思議と腹が決まった。たかが3ヶ月、されど3ヶ月。やれるだけのことはやってみよう。

慣れるに従って少しずついろんなことが見えてきた。この会社は派遣社員には重要な仕事は任せない。というより、はっきり言って「雑用係」として雇っている。「つまらない」と嫌気がさして辞めていく派遣社員もたくさんいる。コピーやファイリングはすぐ終わってしまう。満足な仕事も与えられず、かといって、「いろんな仕事がしてみたい!」と望むことも許されず、退屈な日々に飽き飽きして辞めていく派遣社員もたくさんいる。実際、私の前任者もこの仕事に心底飽き飽きして辞めることを決意したらしかった。彼女は初日、私に「ここは長く勤めるところじゃないよ」と言っていた。その意味が徐々に分かり始めていた。
私自身、その中でもがいていた。自分がしたい仕事とのギャップ。雑用係として扱われることへの不満。正社員との極端な区別。
自分はここで何をしているのだろう?正社員の使い捨ての道具?踏み台?便利屋?
少しでも自分がここで働いている意味を見出したかった。そうでないと、自分で自分を否定してしまいそうだった。でも無理だった。私はこの会社でいる自分に何も見出すことはできなかったのだ。
3ヶ月すら苦痛になりそうだった。前が見えない。次の仕事を探そうか・・・という気持ちにもなっていた。
一方で、3ヶ月はがんばるんだ!と必死になる自分もいた。たった3ヶ月もがんばれない人間は、どこへ行っても同じこと。ここでもう少しがんばってみよう。毎日毎日自分に言い聞かせた。朝、起きて会社へ行くのが苦痛で、しんどい日が続いた。それでも歯を食いしばってがんばった。たかがコピー、されどコピー。1枚たりとも無駄にせず、読みにくいようなコピーはしない。ファイルのある場所は私に聞けば必ず分かるようにしておいた。「お手伝いすることはありませんか?」と声をかけて回り、どんな雑用でも引き受けた。そのうち、日本で販売されている薬担当のチームから声がかかった。検査値の入力の仕事だった。毎日ひたすら数字を打ち込むだけの仕事。それも必死でやった。数字を打ち込みながら、その検査をすると、何が分かるのか、正常範囲はいくらからいくらまでか、異常値の場合、どのような病気が考えられるか、本で調べたり、インターネットで調べたりしながら覚えていった。検査項目を英語で何というか覚えるようにもした。検査値入力を極めると、次はもっと様々なデータ入力を任されるようになった。毎日残業しなければならない程だった。これは、暇を持て余すのが当たり前の派遣社員にとって、珍しいことだった。そんな小さな変化が嬉しかった。自分が少しだけ認められた気がした。気がつくと3ヶ月はあっという間に過ぎていた。
この国内の薬に携わったことは、意外な効果があった。多くの症例に触れたことで、結果的に様々な医学的知識、用語に触れる機会が増えた。そのお陰で、まだまだ不十分ではあったが、翻訳に上達が見られたのである。入社当初、赤ペンで真っ赤に直されて返ってきていた私の翻訳が、今や全く修正のない症例が出ることもあった。
こうなると、俄然やる気が出てきた。やればやる程成果が出る。自分でも自分の成長を感じた。やればできる。それが自分の努力の結果だと思うと、尚一層がんばれた。
6ヶ月を過ぎると、皆が安心して自分に仕事を任せてくれるようになった。私から「ここはどうすればいいんでしょうか?」と尋ねることも少なくなっていた。しかし、ここでまた私は壁にぶつかっていた。コピーもファイリングも入力も楽しかった。でも、単純作業が多かった。私は飽きてきていたのかもしれない。もっともっと、翻訳を含めて、頭を使って、考えてする仕事がしたくなっていた。しかしそれは正社員がしている範囲の仕事だった。派遣社員には許されていない範囲の仕事だった。
したいしたいと思いながら、日々過ごすようになった。してみたいことは具体的に言うと、例えばこの副作用はうちの薬と因果関係があるか、ないか、可能性はどうか、医学的見地から企業としての意見を書くということや、担当のDr.に意見を伺いに行くということ、そういった企業意見を決める会議に出る事だった。しかし、自分自身でも医学的知識がないという負い目から、「やらせてください」と言っても一笑されるだけだと思っていた。それでも諦めきれない自分もいた。企業意見を書けるようになりたい!その思いから、今までの症例を掘り起こし、企業意見の勉強をした。今までどんな副作用に対し、どういう判断を下してきたか、どういう対応をとってきたか、それは薬剤のどのような特質が関わっているものなのか、ということを勉強した。この薬は何に効いて、どんな機序でどんな副作用が起こるのか、といったことも必死で勉強した。分からいことはインターネットで調べたり、教えてもらったりした。医学的知識のない私は、突然とんでもない質問をすることがあるらしく、皆を驚かせることも度々だった。また、意外に質問が難しく、図書館に行ってまで調べてくれ、「自分の勉強にもなったよ、ありがとう」といわれることもあった。文系出身の正社員さんに「今まで私もどうしてかなって思ってて、聞きたかったんだ〜」と、共感してもらえることもあった。もちろん「そんな事も知らなかったの?!」と、目を丸くされることもあった。
そのうち、企業意見の下書きをさせてもらえるようになった。「何もないところから書くより、下地があった方がやりやすいから、やってみて」と言ってもらえた。どんなに勉強しても、私の書く企業意見はへんてこりんなこともあり、皆に大笑いされることもあった。それでもヘコたれずに書いた。勉強して、書いて、失敗して、また書いてを繰り返した。そのうち私の書いた企業意見がそのまま会議にかけられることも度々となった。
その頃、ちょうどボーナスの時期で、派遣社員も上司との面接があった。この面接で思い切って、会議に参加したい旨を伝えた。オブザーバーとしてでいいので、参加したい、とお願いした。幸い、上司は快くオーケーをだしてくれた。素直に嬉しかった。
自分が翻訳した症例を紹介し、企業意見はこのようにしようかと思うのですが、どうでしょう?とみなの前でプレゼンする。小人数の会議だが、私は大興奮だった。
部長に「これからもよろしく」と言われ、正式に会議への参加が認められた。会議記録に私の名前が載るようにもなった。責任は重くなったが、やりがいのある仕事だと思った。

派遣社員と一口に言っても、様々な考え方がある。会社によって、雑用係としてしか扱わないところもあれば、正社員と変わりない仕事を任せる会社もあるだろう。派遣社員自身の意識の持ち方も人によって違う。例えば正社員の中でも「専門を磨いて、その道のプロになりたい!と思う人もいれば、昇進して人の上に立ちたい!と思う人もいれば、ずっとヒラのままでいいと思う人もいる。派遣社員も考え方は人それぞれだ。アルバイトの延長程度にしか思っていない人もいれば、スキルアップのためにがんばろうと思っている人もいる。旦那さんが転勤族で、正社員として働くのが難しいという人もいれば、自ら望んで派遣社員をしている人、正社員の口がなくて仕方なくしている人がいる。
私の所属している班には派遣社員がもう一人いた。彼女は42歳。2人の子供を持つお母さんだが、スキルアップのため、がんばっていた。彼女がここに来た当時は、正社員と派遣社員の区別はもっとすごかったらしい。しかし、彼女はそこで立ち止まりたくないと思った。ここで得たいものがあった。得たかったから、必死で仕事を覚えた。覚えて、正社員がしている仕事を見て、真似て、自分のものにしてきたのだという。彼女が同じ班だったことはラッキーだった。彼女は誰よりも私の悩みや考えを理解してくれた。そして、彼女がそうして派遣社員でもここまでできる!アルバイト感覚でここに来ているのではないし、会社にとって役に立つ人材なのだ!ということを正社員に証明して見せ、道を切り開いてくれていた。彼女がいてくれたお陰で、私がより責任ある仕事をしたいと思ったとき、やらせてもらえる環境がある程度整っていたのだ。
互いに目標や夢を語り合い、今この会社で何をすべきか、したいか、10年後、20年後の自分のために、ここで何をしておくべきか等を話し合った。派遣社員としてどのような働き方をするかは人それぞれだと思う。どの働き方がよくて、どの働き方が悪いということはない。人それぞれの人生があって、考え方があって、それに促した働き方があると思う。ただ、私はたまたまこの会社でがんばりたい、得たいものがある、スキルアップしたいという考え方だった。医療翻訳に携わることは、かならず翻訳家になる上で、自分にとってプラスになるだろうし、そのために医学的知識を得ることは有益だと思った。海外の症例を英語で読むだけでなく、日本の症例を日本語で扱うことも、そういった意味で大切だと思った。同様に彼女も目指すところは違うものの、ここで得たいものがある人だった。だからこの会社でがんばっていきたいと思う人だった。そういう点で、生き方が似ていたといえる。私たちは互いによく理解することができた。そして、励まし合い、時には上司との面接に向けて作戦を練ったり、愚痴を聞き合ったりすることが多くなった。

ある時、隣の班の派遣社員さんに、ひどく怒られたことがあった。正社員と同じようなことをして、派遣社員としてすべきことをしていない、という内容だった。例えば、コピーは裏紙で取る、班の郵便物を配る、ゴミを捨てる等々・・・。
「ここでがんばって正社員になりたいんじゃない?」
「正社員でもないくせにでしゃばり過ぎ。」
そんな陰口も聞こえてきた。
落ち込む私に、彼女は笑って「私には年上過ぎて怖いから言えないんだよね〜。そんな人達の言うこと、気にすることないよ」と言ってくれた。
気にならなくなったといった嘘になる。でも、自分が決めた道があって、そこを行くために最善の方法を取っていると思う。それを快く思わない人がいることはとても残念だけど、それをその人達のために変えようとはどうしても思えなかった。
そういえばカナダでも同じようなことがあった。休み時間も勉強する私はちょっと変な子だった。でもどうしてもそうしたかった。カナダで英語力を上げて帰りたかった。だからそうした。
結局私はそんな生き方しかできないのかもしれない。それがいいことなのか、悪いことなのかは分からないけれど・・・。

入社1年4ヶ月後の現在、私の仕事範囲は大幅に増え、かなりの仕事を任せられるに至った。翻訳も「ここの訳はどうしたらいいと思いますか?」と相談を受けたり、新人さんの訳をチェックする側になるまでに至った。医学的知識に関しては、お願いして定期的に勉強会をしてもらう、症例を通して、自分で勉強したり、上司に質問するなどして、自分が受け持つ薬剤を中心に徐々にその幅を広げている。
ただ、派遣社員は派遣社員。結婚して子供が出来れば、ここで働きつづけることはできない。また、翻訳家として、医薬分野を専門として行くかどうか疑問である。これからどうしていくか、この会社で働きつづけるのか、辞めて別の分野の会社に挑戦するのか、もっと他に翻訳家になるための道を探すか・・・・。

決断の時は迫っている。



(2004.01.21 現在)






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